スタコラ:2006-04-25

季節も変わる

2006-04-25
日下

春の陽差しも日増しに力強さを増して来た。
つい少し前に桜の花が見頃の頃には、春とはいえ暖かさはまだどこか頼りなかった。
花冷えの夕暮れ時、『花見には焼肉より、鍋の方がよかったかもね~』などと嘆いていたのが嘘のようだ。

そこでこんな言葉を思い出す。

夏の果てて、秋の来るにはあらじ

方丈記

小生の拙訳では、「季節の移ろいとは、夏が終わりましたので、次は秋ですよ~などというものではない。夏の末にはすでに秋の気配があり、秋の初めとはいえ夏の名残があるものなんだよ」だと思うが(違ってたらごめんなさい)、夏秋と同様に春にもグラデーションとでもいうか、段階のようなものがあるようだ。

季節の移り変わりに限らず、「変化」というものが人にもたらす意味を考えることがたまにある。
思い出に残る東京の風景の一つとなっていた青山の同潤会アパートは建築家安藤忠雄氏の設計により、かつての人々の記憶を尊重しつつも時代に合った新しい建物へと変貌を遂げた。
これなどはほっとするうれしい変化だ。

映画ダンス・ウィズ・ウルヴズの中での話。
幼なじみの親友を戦で失ったインディアンの男が、その後ふとしたきっかけで集落に溶け込んでしまった白人男性を
「お前は友の死と共にやって来た」
と忌み嫌っていたが、後に敬愛すべき新しい友人だと理解したとき、
「お前のせいで友が亡くなったのではない。友の死がお前を呼んでくれたのだ」
と心境の変化を告白する。
竹馬の友を失ったが新しい友を得た、そういう状況で今なお残る悲しみと新たな友情を受容できた希望が錯雑する、印象的なシーンだ。

変化の中でそれを乗り越えようとする人間の営みは貴いものであり、僕もそれを見倣いたいと思う。
ただ、個人の努力だけでは克服できない言わば「耐え難い変化」を、社会がそして政治が量産しているかのような今日の状況は許し難いと思う。
かくいう僕といえば、「新会社法施行」というささいな変化にもあくせくする体たらくで、反省することしきりである。

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